「日本一有名な鮭」が伝える、明治初頭の日本人の「眼」。高橋由一展、京都で開催中
現在、京都国立近代美術館で、高橋由一の回顧展が開催されてます。東京と山形では既に開催済なので、ご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。
高橋由一。江戸後末期から明治中頃にかけて活躍した洋画家です。名前を聞いてピンと来なくても、彼が描いた鮭なら大半の方が目にしたことがあるでしょう。縄で吊るされた、鮭の絵。本物よりも実在感があるように見える、鮭の絵。展覧会のキャッチコピー「ああ、思い出した、あの鮭だ」を多くの人に言わせるあの絵を描いたのが、高橋由一です。
由一は「日本で最初の洋画家」といわれてます。少年の頃は狩野派を学んだものの、時は幕末、やがて由一は西洋画に出会いました。写実的な描写に強い衝撃を受けた彼は、以後は洋画の研究・実作・普及に没頭。画塾を開いて展覧会を催し、美術雑誌まで創刊します。洋画により親しんでもらおうと考えた由一は、題材を身近なものからチョイス。「日本一有名な鮭」は、その流れで描かれました。
「日本で最初の洋画家」でありながら、由一には本格的な留学経験がありません。武家の家に生まれ、明治維新でチョンマゲを落とした由一は、その時点で既に40オーバー。お雇い外人に師事はしたものの、渡航しての長期留学のチャンスはありませんでした。絵はほとんど、独学。そしてそのことが、由一の画風を独特のものにしました。
彼の絵には、独特の生々しさが溢れかえっています。いや、生々しさを通り越して、もはや異物感と言っていいかも知れません。整理された観察眼・技法・文法によって描かれたキレイな写実画ではなく、目に見えたもの、あるいは五感で感知したもの全てを徹底的に描き込んだような、絵。
由一は、当時売れっ子の花魁なんかもモデルにして絵を描いてます。が、当の花魁は彼の絵を観て「わたし、こんなんじゃない」と泣き出したとか。普通なら「見えないことにする or 存在しないことにする」部分も、とことん描いてしまう絵。「写真より長持ちする」と、由一は自身の絵を豪語したそうですが、確かに現代でも写真で撮れない「何か」を、この絵は写し取ってるように見えます。
後進の画家たちによって過去のものとされた、由一の絵。ですがそれゆえに、そのタッチは妙なタイムカプセル効果を持ち、明治初頭の日本人の「眼」を生々しく感じさせてくれるんじゃないかと。回顧展の京都開催は、10月21日まで。
近代洋画の開拓者 高橋由一 京都国立近代美術館
高橋由一 – Wikipedia