
北斎の娘、女性医師、女流画家…江戸時代をパワフルに波瀾万丈な人生を歩んだ女性たち!
江戸時代の女性というと、職業もあまり選べず、社会で活躍できる人は少数でした。実際に活躍した女性たちは、とってもパワフル!といっても、順風満帆な人生でもなかったようです。
葛飾北斎の娘・葛飾応為(かつしかおうい)
あの葛飾北斎の娘の葛飾応為は、浮世絵師としての実力はかなりのものでした。脳卒中で倒れた父・北斎の作品制作を手伝っていたとか。
北斎の娘・葛飾応為の名作「吉原格子先之図」の魅力【前編】
(本記事は 2020年1月23日公開の記事です)東京都・原宿という都会のど真ん中にありながら、常設的に浮世絵を楽しむ事ができるという事で、長年愛され続けている美術館、太田記念美術館。現…

当時、応為は離縁して実家に戻っていたのです。どうして離縁したのかって?はっきりとした事情はわかりませんが、応為は家事が苦手で、料理もやらなかったそう。
さらに片付けも苦手で、酒とタバコが大好き。この性格というか生活スタイルが、結婚には向かなかったのかもしれませんね…。
でも、商家や武家の娘たちに絵を教えたり、父をいたわったりと、ぶっきらぼうだけど心優しい性格なのです。
画家・平田玉蘊
江戸後期の四条派の画家・平田玉蘊(ぎょくうん)は、20代半ばの頃、歴史家の頼山陽を愛し、京都を活動の拠点にする頼山陽を追いかけ京都に向かうものの、結婚が実現することはありませんでした。
地元・尾道に帰ってきた玉蘊を待ち構えていたのは、地元での根も葉もない様々なうわさでした。さぞかしつらかったと思いますが、絵を描く仕事で生きていくことを決意します。
そして妹の長男を養子にして後継者として育成したのです。ちなみに頼山陽は女流画家の江馬細香(さいこう)とも恋愛関係になっていたので、もし玉蘊が結婚していたら色々苦労させられていたかも…。
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