道長が世を去り、嵐(戦乱の世)が来る…大河ドラマ『光る君へ』最終回(12月15日)放送の振り返り:2ページ目
怨霊となった藤原顕光
劇中では「よきにはからえ」と居眠りばかり、藤原頼通(渡邊圭祐)から引導を渡されてしまった藤原顕光(宮川一朗太)。
恐らくは現代政治家に対する風刺や願望を描いたのでしょうが、実際に藤原顕光がそのような体たらくであったという記録はありません。
ただ道長はじめ公卿たちから無能呼ばわりされて(日記に書かれて)いたのは確かです。
しかし本当に単なる無能者であったなら、道長政権下で20年以上も大臣職にしがみつけはしなかったでしょう。
敵がお世辞を言わないのは古今東西どこも同じですから、気に入らない相手について重箱の隅をつついた結果が今日の評価につながったものと考えられます。
ちなみに藤原顕光は治安元年(1021年)5月25日に薨去しましたが、それは娘の藤原延子(山田愛奈)を喪った失望からでした。
藤原延子は小一条院(敦明親王。阿佐辰美)に入内していましたが、道長はそれに競わせるよう娘の藤原寛子(母は源明子)を入内させます。
こうなると道長への遠慮から小一条院は寛子ばかり寵愛し、延子は実質的に捨てられてしまいました。
延子は失意のうちに薨御。その怨みから、藤原顕光と延子は怨霊となって寛子はじめ道長一族に祟りをなします。
世の人々は「悪霊左府(左府は左大臣の意)」と呼んで恐れ、また同情したのでした。