道長が世を去り、嵐(戦乱の世)が来る…大河ドラマ『光る君へ』最終回(12月15日)放送の振り返り:4ページ目
ききょう(清少納言)の晩年は?
ちぐさと入れ替わりにまひろ邸を訪れたのは、すっかり疎遠どころか険悪になっていたききょう(清少納言。ファーストサマーウイカ)。お互い気力が萎えたからか、お互いの偉業を讃え合う展開となりました。
清少納言の没年については諸説あり、おおむね万寿2年(1025年)ごろと言われているようです。
かつて紫式部が日記で「あんな意識高い系を気取って中身のない女が、ロクな末路をたどるまいよ(意訳)」とこき下ろした清少納言。
そんな評価(嫉妬?)は少なからず支持を集めたようで、「女のくせに……」という人々の嫉妬や偏見が、清少納言の晩年や末路を様々に描き出しました。
内裏を去った清少納言がすっかり落ちぶれて人々の笑いものとなり、哀れに寂しく死んでいく……まさに紫式部が書いた(願った?)通りのストーリーです。
女のくせに才能をひけらかして男を見下した報いを受けるがいい……と言わんばかりですが、それらの説話には特に根拠もありません。
むしろ旧主の脩子内親王(海津雪乃)や藤原隆家(竜星涼)、子供の橘則長(のりなが)や小馬命婦(こまのみょうぶ)らが健在であり、彼らが揃って清少納言を見捨てるとは思えません。
更にはかつて交流していた藤原斉信(金田哲)や藤原行成(渡辺大知)、藤原公任(町田啓太)らも健在ですから、彼らもまた必要ならば清少納言を支援したことでしょう。
清少納言が穏やかで幸せな晩年を送ったことを願うばかりです。