室町幕府のダメっぷり…貨幣経済への転換期・室町時代に一揆で標的にされたのは「酒屋」?
物々交換から貨幣経済へ
室町時代というのは、日本の経済史上でも重要な転換点となる時期で、京の都を中心に貨幣経済が浸透した時代でもありました。それまでは物々交換だった人々の市場でのやり取りが「お金」中心へと変わっていったのです。
と言っても、この頃は室町幕府に信用がなかったため国内での自前での貨幣は造られませんでした。取引で使われていたのは中国(当時の宋)の硬貨だったり、ひどい場合は贋金までもが大手を振って流通していたのです。
なぜか”中国の貨幣”が流通していた室町時代…幕府はなぜ自前の貨幣を造らなかったのか?
影が薄い室町時代室町時代といえば、足利尊氏が京都室町に幕府を開いたときから、第15代将軍・義昭が織田信長に追放されるまでの約240年間を指します。[caption id="attachme…
ともあれ、貨幣経済が浸透し始めた時代だったのは本当のことで、人々はお金を使って物を買うようになっていきました。
すると、当然ながら富める者も現れますし、貧する者も出てきます。借金をかかえた庶民が、借金棒引きを求めて一揆を起こすことも増えてきました。
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室町幕府が発する借金棒引き令を「徳政令」と言ったことから、そうした一揆は「徳政一揆」と呼ばれていました。そこで標的とされたのはおもに高利貸業です。
当時の高利貸業は、質物を保管する土蔵造りの倉を構えていたことから、「土倉(どそう)」と呼ばれていました。
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