2025年大河「べらぼう」に登場!お江戸のダ・ヴィンチ、平賀源内は美少年好きの生粋の男色家だった【前編】:3ページ目
男色街によく出入りしていた平賀源内
平賀源内が認めていた狂歌師で江戸中に狂歌ブームを巻気起こした大田南畝(おおたなんぼ1749-1823)の随筆『仮名世説』には、以下のような記述が残されています。
「彼は芳町のみでよく遊び、北里(吉原)には行かなかった」
吉原は遊女たちが集う遊郭であるのに対し、芳町は男色街として知られていました。
芝神明門前(現在の港区の芝大神宮)・湯島天神門前・芳町(現在の中央区日本橋人形町のあたり)は、江戸の三大男色地帯で、男性が男性相手に体を売る「陰間」(若い男娼)を置く隠間茶屋が集まっていたそうです。
平賀源内は、若くて美しい少年を好み、特に若い歌舞伎役者を好んでいたとのことです。
贔屓の美少年役者の死をもとに書いた男色小説
そんな源内は、贔屓にしていた歌舞伎役者の溺死事件をもとに書いたという男色小説
『根南志倶佐(ねなしぐさ)』のなかで、
閻魔大王と弘法大師の男色談義の会話で、
「吉原の遊女は蜜のように甘いが飽きやすく、若衆は水のように無味だが飽きが来ない、女は男娼の美には及ばない」
という弘法大師の言葉として表現をしています。非常に実感がこもっている表現なので、これは源内自身が、男色に感じていることだといわれています。
平賀源内の男色エピソードはさらに【後編】に続きます。