ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】:2ページ目
2歳年上の主君であり文学青年だった人との出会い
松尾芭蕉は、わずか13歳で父親が亡くし、非常に貧しい生活を送らざるおえなかったそうです。
19歳のとき、津藩(つはん/今の三重県津市)の藩主・藤堂良勝(とうどうよしかつ)の7男で、2歳年上の藤堂良忠(とうどうよしただ)の奉公人となり台所用人、料理人として仕えるようになりました。(諸説あり)
藤堂良忠は俳句を愛したそうで、芭蕉を句会に参加させたり京都の北村季吟に師事したりと、共に本格的に俳諧の道へ歩んで行ったそうです。
趣味が合いお互いの才能に惹かれあう若き二人
良忠は藩主の御曹司、かたや芭蕉は貧しい農民の子。
良忠は一生の生業にしたいというほどの俳諧好きで、その才能は北村季吟も認めるところだったとか。仕える芭蕉も際立った才能を認められていました。
身分差はありながらも、二人は俳句を通して心を通じ合わせ、友情を超えた男色の関係にあったのではないかという説もあるのもうなずける話です。
当時、若い武士の間では男色は珍しくない時代。互いに才能を認め合う同士の間に男色があったとしても決して不思議でないでしょう。
ところが、芭蕉が22歳の頃、藤堂良忠は24〜25歳という若さで亡くなってしまいます。愛しい人の死はショックだったのでしょう。いずれにせよ、この主人の死がきっかけとなり芭蕉は、藤堂家を去ったようです。