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ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】

ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】:3ページ目

「私も昔は衆道好き」だった

芭蕉は29歳で、初の出版物『貝おほひ』という俳諧集を出します。

その中の句に

我も昔は 衆道好きの ひが耳にや
(わたしも、昔は衆道好きの 僻みっぽい 人間だった)

というものがあります。これが、「芭蕉は男色家だ」といわれる所以になっているそうです。(単に句のやりとり上のお遊びとする説も)

芥川龍之介も「芭蕉衆道説」を

芥川龍之介『芭蕉雑記』の「衆道」という章の中で、

芭蕉もシエクスピイアやミケル・アンジエロのやうに衆道を好んだと云はれてゐる。この談は必しも架空ではない。元禄は井原西鶴の大鑑を生んだ時代である。

芭蕉も亦或は時代と共に分桃の契(※)を愛したかも知れない。現に又「我も昔は衆道好きのひが耳にや」とは若い芭蕉の筆を執つた「貝おほひ」の中の言葉である。

その他芭蕉の作品の中には「前髪もまだ若草の匂かな」以下、美少年を歌つたものもない訳ではない。

と書いています。

※分桃の契:「余桃の罪」と呼ばれ、君主の寵愛は気まぐれなことのたとえ。君主の寵愛を受けていた美貌の男性・弥子瑕(びしか)は、果樹園の桃があまりにも美味だったので、半分を君主に分け与えたところ、褒め称えられたが、年齢を経て容貌が衰えると食い残しの桃を与えたと刑を処せられてしまったという話。

また中国では「桃を分ける」「分桃(フェンタオ)」は男性同士の愛の代名詞とされています

4ページ目 芭蕉が愛した弟子との紀行文はロマンティックな句が

 

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