ボーイズラブの旅をした俳句の神様!松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった【前編】:4ページ目
芭蕉が愛した弟子との紀行文はロマンティックな句が
延宝6年頃(1678年/35歳)に「宗匠」となり、いわば職業的な俳諧師となった芭蕉は、37歳の頃には江戸深川隅田川畔に「草庵」を結びました。
庭に芭蕉の株を植えたところ大いに茂ったことから、庵が「芭蕉庵」と呼ばれるようになり、俳号としても「芭蕉」を好んで用いるようになりました。
この頃芭蕉には、20人ほどの門弟がいたそうですが、芭蕉はお気に入りの弟子を連れて旅によく出かけていたそうです。
特に坪井杜国(つぼいとこく)と越人(えつじん)という愛弟子とのボーイズラブのような旅行は、その男色ぶりをうかがわせる句が盛り込まれています。
たとえば、芭蕉44歳〜45歳に出された『笈の小文(おいのこぶみ)』という俳諧紀行文の中に
寒けれど二人寝る夜ぞ頼もしき
という句があります。冬に、弟子の越人と道中泊まったときの句で、本当のところは定かではありませんが、寒さは厳しいけれども「二人で寄り添って寝ていると、伝わってくる体の熱で、身も心も頼もしく暖かい」というニュアンスだという解釈もあります。
随所に男色愛が散りばめられている芭蕉の句。【後編】に続きます。
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俳句の神様・松尾芭蕉は若い弟子を愛した男色家だった! 〜 愛する弟子とのボーイズラブ旅【後編】
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