実は日本を攻撃する気はなかったペリー提督!「交渉」から「恫喝」に切り替えてまで開国を急いだ理由:2ページ目
交渉から恫喝へ、しかし武器使用は禁止
そもそもペリーが日本を訪れるよりも60年以上前から、欧米諸国は開国を求めて日本近海にやってきていました。しかし、幕府も態度を軟化させることはあったものの、外国船を警戒して要求を呑もうとはしませんでした。
そこでペリーは、イギリスの軍事的圧力に屈した清国のケースを参考に、武力を盾に日本を脅して要求を呑ませようとしたのです。
「武力を盾に」というのがポイントで、「直接的な武力行使によって」ではない点に注意して下さい。
彼は空砲などで威嚇はしたものの、乗組員には日本側が危害を加えない限りは武器を使わないよう指示しています。
ペリーがここで「交渉」から「恫喝」へとやり方を切り替えてまで日本の開国を急いだのは、太平洋におけるアメリカの影響力を強めるためだと考えられます。
中国市場へ向かう商船や太平洋で活動する捕鯨船にとって、日本は絶好の中継地点でした。アジア交易でイギリスやフランスに後れをとっていたアメリカからすれば、日本開国というアドバンテージを両国にとられることは避けたかったのです。
だからこそペリーは、アメリカの手で交渉を成功させるために「武力を盾にする」強硬手段を採ったのでした。
先に書いた通り「ペリーは粗野で好戦的な人物だ」という印象を持つ人もいると思いますが、実際は、そうした粗野で好戦的な態度を見せつけることも計算に入れた思慮深い戦略家だったのです。