なぜ?教科書ではもう享保・寛政・天保の改革を「三大改革」とは教えていない!見方が変わった江戸の政治史:2ページ目
改革ではなく「反動」「恐怖政治」だった?
さらにもう一つ、大切な視点があります。そもそも三大改革は「改革」と呼ぶにふさわしいものだったのか、ということです。
「改革」というと、いかにも良いことをしたような印象を受けますね。それは前時代の因習や旧態依然とした体制の否定であり、次の時代にふさわしい新しい革新であるというイメージが誰でも頭に浮かぶでしょう。
しかし、三大改革と呼ばれた享保の改革・寛政の改革・天保の改革の三つは、崩れようとする幕府の体制の「ひきしめ」という要素が次第に強くあらわれるようになり、進行している貨幣経済、前期資本主義の動向に逆行しようとする政策も含まれていました。
その観点で見ると、この三大改革は改革というより「三大反動」というべき部分が多くあります。
また、さらに見逃せないのは、寛政の改革と天保の改革では、明らかな思想・言論の弾圧なども見られたという点です。恐怖政治の一面もあったと言えるでしょう。
そして天保の改革は、水野忠邦の改革一つをさすものではなく、同時期に行われた諸藩による制度改革も含めた総称という認識に変わりつつあります。