邪馬台国の場所「九州説vs畿内説」はもう古い?邪馬台国と倭の情勢を国際関係から読み解く【前編】:2ページ目
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意味のない議論
ただ、ここまでいわゆる畿内説・九州説について解説しておいてなんですが、現在の考古学では「邪馬台国がどこにあったか」という議論はもうあまり意味がなくなってきています。
邪馬台国は中国の三国時代の三国の一つ魏と通交があった国として『魏志倭人伝』に登場しますが、ただそれだけのことです。
反証となるものも含めたさまざまな史料を突き合わせて、厳密に検証・実証していくのが現代の歴史学の方法論です。
そんな中では、『魏志倭人伝』ひとつに登場しているだけの邪馬台国については、問題にすることすらできないというのが正直なところでしょう。
また近年は、邪馬台国は他の小国を傘下に治めてその上に君臨していたとか、当時の倭国の最有力国あるいは唯一の政権であった、という従来の説にも疑問がもたれるようになりました(詳しくは倉本一宏の『日本史の論点』『邪馬台国はどこにあったのか』などが分かりやすいです)。
そして『魏志倭人伝』をベースにした理解では、どうしても当時の倭と魏との関係が問題になりますが、実際には当時の倭は江南にあった呉の方と密接な関係にあったのではないかと言われています。
【後編】では、この呉と倭あるいは邪馬台国の関係についての説をご紹介しましょう。
【後編】の記事はこちらから↓
邪馬台国の場所「九州説vs畿内説」はもう古い?邪馬台国と倭の情勢を国際関係から読み解く【後編】
倭と呉の関係【前編】では、『魏志倭人伝』に登場する邪馬台国について、昔ながらの「九州と畿内のどちらにあったのか」という議論はあまり重きを置かれなくなっていることを解説しました。[inser…
参考資料:浮世博史『古代・中世・近世・近代これまでの常識が覆る!日本史の新事実70』2022年、世界文化社
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