紫式部、ホームシックから結婚を決意。都から離れての雪国暮らしの中で詠まれた数々の歌「光る君へ」:3ページ目
ホームシックから一大決心へ
また、武生に到着しても、それは変わりませんでした。むしろ、降り積もる雪が、彼女の心を閉ざしてしまったのかもしれません。
その年の冬、「暦に初雪降る」と書かれていた日、すぐ近くの日野岳という山に雪が深く降り積もりました。そこで式部は、次のような歌を詠みます。
ここにかく日野の杉むら 埋づむ雪 小塩の松に今日やまがへる
(ここ越前では、日野岳の杉林を埋めるほどの雪が降り積もっている。都の小塩山の松にも、今日は雪が降っていることでしょう)
目の前にある日野岳に降り積もる雪を眺めながら、式部は都に思いを馳せていたのです。
さらに、武生が大雪に見舞われた日、かいた雪を積み上げてできた雪山に人々が登り、沈みがちな式部を元気づけようと「さあ、ここへ来て雪を見てください」と声をかけたのですが、彼女は、
ふるさとに 帰る山路のそれならば 心や行くと 雪もみてまし
(故郷に帰る 「鹿蒜山(かひるやま)」の雪ならば、気も晴れるかと見るのですが)
と詠みました。
武生から都へ帰る途上にあった「鹿蒜山」(福井県南越前町)と「帰る山」をかけつつ、都に戻りたいという思いを表現したのです。
そんな、ホームシックともいえる気持ちが彼女を後押ししたのかもしれません。式部は一生に関わる一大決心をします。 武生に住む前から式部へのアプローチを続けてきた藤原宣孝との結婚です。
紫式部、結婚に踏み切る!ふられてもラブレターを送り続けた藤原宣孝の一途さ…「光る君へ」でどう描かれる?
藤原宣孝の年齢はわかっていませんが、親兄弟の生年などから、天暦4(950)年頃に生まれたと推定されています。 式部とは、少なくとも20~28歳も歳の離れた歳の差婚だったと考えられています。
参考資料:
歴史探求楽会・編『源氏物語と紫式部 ドラマが10倍楽しくなる本』(プレジデント社・2023年)