紫式部、ホームシックから結婚を決意。都から離れての雪国暮らしの中で詠まれた数々の歌「光る君へ」:2ページ目
心細さが詠ませた歌たち
さて長徳2(996)年、紫式部は父とともに越前国へ旅立ちました。
この当時、京都から越前国の国府が置かれた武生(福井県越前市)までの行程は、丸々4日かかったといいます。
『紫式部集』には、その道中で式部が詠んだと思われる和歌が収められています。
琵琶湖の湖岸、現在の滋賀県高島市と比定される「三尾崎(みおがさき)」では、
三尾の海に 網引く民の てまもなく 立居につけて 都恋しも
(三尾の海で、忙しそうに網を引いている漁民の姿を見て、都が恋しくてならない)
琵琶湖を北に進む船上で、空が曇って稲妻が光った際には、
かき曇り 夕立つ波の 荒ければ 浮きたる舟ぞ しづ心なき
(空が曇り、夕立になって波が荒くなったので、浮いている船も心も揺れる)
現在の滋賀県と福井県の境にある難所「塩津山」 (峠)で、荷物運びの人夫が「やはり厳しい道だな」と言うのを聞いて、
知りぬらむ 往き来にならす 塩津山 世にふる道は からきものぞと
(知っているでしょう。行き来に慣れた塩津山を越えるのが辛いように、生きていくことは辛いということを)
こうした和歌から感じられるのは、新天地へ向かう前向きな姿勢ではなく、遠国へ赴く心細さです。