明治時代、敗れた旧幕臣たちはどう「転職」した?実は新政府は彼らの統治ノウハウを有効活用していた:3ページ目
ジャーナリスト、そして徳川慶喜
その一方で、政府に参加せず、言論界で活躍した旧幕臣も少なくありません。沼間守一のように自由民権運動に参加した者もいれば、『学問のすゝめ』の作者・福沢諭吉や「東京日日新聞(現毎日新聞)」を主筆した福地源一郎のような人物もいました。
明治時代は、政界に限らず、新しい時代の基礎づくりの中で旧幕臣が大きな影響を残したことが分かります。
ちなみに、かつては薩長から目の敵にされた徳川慶喜ですが、彼が静岡に隠遁したことは有名です。しかし明治35年(1902)に貴族院議員として政界に復帰している事実は意外と知られていません。
慶喜は最後まで一議員として過ごしており、大臣などの役職に就くことはありませんでした。しかし、徳川宗家次期当主である徳川家達(とくがわ・いえさと)は30年近く貴族院議長を務めました。大正時代には総理大臣の候補にも挙がったほどです(本人は辞退していますが)。
明治~大正の時代になっても徳川の名前は忘れられてはいませんでした。当時の細かい状況は分かりませんが、慶喜が議員として復帰した時は、きっと議会も「おお、あの男が…!」という感じで沸いたと思うのですが、皆さんはどうイメージするでしょうか。
明治維新と言うと、どうしても維新三傑のような顔ぶれが真っ先に思い浮かぶので、かつて幕臣だった人たちのことは忘れられがちです。
しかし明治の新時代、彼ら旧幕臣たちは政治に関与できなかったどころか、逆に新政府は旧幕臣たちの統治ノウハウをフル活用したのでした。
こうして見ていくと、明治維新では政治体制が完全に刷新されたのではなく、江戸時代の統治体制がいわば「再編」されたのだと分かります。
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年