皇室の紋章「菊の御紋」実は古来からではなかった!皇室の家紋はいつから菊になったのか?:2ページ目
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この経緯について、上皇に仕えた葉室定嗣(はむろさだつぐ)は日記「葉黄記」で
「上皇様が菊の紋章を使うのは先祖の後鳥羽上皇にならうものである。中国では前漢が滅んだ後に光武帝が後漢を復興したが、上皇様は自らが後鳥羽上皇の後継者である事を強く意識して、菊の紋章をお使いになった」
と書いています。
後嵯峨天皇が紋章を菊に変えたのは、反幕府の象徴的存在であり、朝廷は幕府の意のままに操られまい、という後鳥羽上皇の意思を継いだものであるということですね。もちろん色々と物議を醸しましたが結局は認められる事になりました。
時代は下がり江戸時代になると幕府の紋である「葵の御紋」は幕府の象徴であるから民間で使われることは固く禁じられていましたが、菊の御紋は制限がなかったので親しみのある紋として民間でも使われていました。
明治以降は天皇家の権威を高めるため、逆に菊の御紋の民間での使用は制限されることとなりました。
筆者は幕末の討幕運動で盛んに使われた「錦旗の御旗」(天皇の家紋を掲げた薩長軍に、幕府軍がひるむなど)のイメージがあったので、菊といえば尊い紋という認識しかありませんでした。桐の方が古いとは知りませんでしたので、面白いものですね。
参考:天皇家99の謎(歴史の謎研究会編)
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