ナメていた旧幕府軍…幕末の「鳥羽・伏見の戦い」で新政府軍が圧倒的戦力の旧幕府軍に勝利した理由【前編】:2ページ目
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兵装だけでも差は明らか
当時の旧幕府軍は、戦国時代さながらに鎧と刀を装備して、新政府軍の最新鋭の装備に無謀に突撃していったようなイメージがあります。
しかし、鳥羽伏見の戦いでは、フランスからの協力を得て整備された陸軍兵士5千人が幕府陸軍にいました。このうち約800人は、フランス人の教官の指導を直接受けていたのです。
ちなみにかの新撰組も鳥羽伏見の戦いに参戦しています。しかし彼らも全員が小銃を手にしており、刀を持っている者は一人もいませんでした。禁門の変で近代兵器の前になすすべもなかった彼らも、西洋式の訓練を受けた軍隊へと変貌していたのです。
一方、新政府軍の兵隊は寄せ集めに過ぎませんでした。6千人の兵のうち、実際に戦ったのは1500人程度とも言われています。
また、当時の薩長の主力だった小銃は、当時としても既に時代遅れの感があったミニエー銃でした。
幕府軍もミニエー銃を使ってはいたものの、連射が可能なシャスポー銃も大量に配備されていました。幕府は、薩長が持たないこの最新鋭の銃を、フランスからなんと無償で2千挺も提供されていたのです。
ミニエー銃とシャスポー銃の性能の差は明らかでした。新政府軍のミニエー銃は弾丸を前から装填する、いわゆる先込め式。一方のシャスポー銃は後部から装填でき、連射性も高かったのです。
こうした点だけを見ても、実は質・量の両面で、旧幕府軍は新政府軍を上回っていたことが分かります。
それでは、なぜ新政府軍は圧勝してしまったのでしょうか。鳥羽伏見の戦いの、この最大の謎については【後編】で解説します。
【後編】の記事はコチラ:
逃げ出した指揮官…幕末「鳥羽・伏見の戦い」で圧倒的戦力の旧幕府軍が敗北した理由【後編】
勝敗を分けたのは…【前編】では、鳥羽伏見の戦いで、実は新政府軍の装備は旧幕府軍に比べて非常に劣っていたことを説明しました。[insert_post id=218466]では、そんな新政…
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年
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