幕末期、新選組は「刀」に見切りをつけていた!西洋式戦術を取り入れた柔軟な戦闘スタイル【前編】:3ページ目
剣槍は差し置き……
さて、1865年3月に、新撰組は本拠地を移転します。壬生屯所から西本願寺へ移動した彼らは、幕府陸軍の兵制や装備を参考にして訓練を行うようになります。
幕府陸軍も、旧態依然とした装備だったというイメージがありますが、実際にはこの時すでに最先端の西洋式の兵制・装備を取り入れていました。
そこで新撰組も、小銃や大砲を揃えて訓練を行っています。
当時の鳥取藩の記録でも、当時の様子について「剣槍は差し置き砲術訓練盛んに相行われ候」と記録されています。かの新撰組が「剣槍は差し置」いていたと聞いて、びっくりする人も多いのではないでしょうか。
【後編】では、そんな新撰組がどのような体制で鳥羽・伏見の戦いに臨んだのかを見ていきましょう。
参考資料:
日本史の謎検証委員会『図解 幕末 通説のウソ』2022年