幕末期、新選組は「刀」に見切りをつけていた!西洋式戦術を取り入れた柔軟な戦闘スタイル【前編】:2ページ目
禁門の変では功績なし!?
新撰組が、最後の最後まで和装で刀を振るって戦っていた……というのは完全な誤解です。
もちろん、結成直後の時期は剣術を重視する剣客集団として活躍していました。
しかし、実際には私たちが思うよりもずっと早い段階で、洋式装備への転換がはかられていました。
その大きなきっかけとなったのが、1864年7月に勃発した禁門の変(蛤御門の変)です。ご存じ、長州藩が京でクーデターを企てた大事件ですが、この時、新撰組はほとんど活躍できなかったのです。
禁門の変では幕府側として参加した新撰組ですが、装備は刀剣を中心としたものでした。しかし禁門の変における戦いでは大砲や銃などが使われたため、彼らはほとんど出番がありませんでした。
もちろんこのクーデター騒ぎでは幕府側が勝利を収めたのですが、局長・近藤勇と副局長の土方歳三は危機感を募らせます。
「これからも新撰組が存在感を保つには、組織の強化が必要不可欠だ。そのために、人員強化と装備の洋式化をはかろう」ということになったのです。
ちなみに、新撰組が大活躍したことで有名な池田屋事件ですが、これは禁門の変の直前に起きました。
そうして考えてみると、彼らが刀を振るって活躍できたのは池田屋事件がピークだったと言えるかも知れません。