遊び好き派手好き、果ては遊女を身請け!徳川吉宗の怒りを買った風流大名・榊原政岑とは?
2023年大河ドラマ『どうする家康』でも主要な登場人物のひとりであった榊原康政(さかきばらやすまさ)。徳川四天王のひとりに数えられ、徳川家康からの信頼も厚かったと言われています。
そんな榊原康政を祖とする榊原家宗家の第8代当主が、今回の記事でご紹介する榊原政岑(さかきばらまさみね)です。彼はあまり知られていないかもしれませんが、色々な意味でインパクトの大きい人物でした。
旗本家の次男として生まれる
榊原政岑(さかきばらまさみね)は、榊原家の分家であり旗本1000石の榊原勝治の次男として1713年(正徳3年)に生まれます。兄が亡くなったことを受け、1731年(享保16年)に家督を継ぎました。
1732年(享保17年)、榊原家の本家榊原政祐(まさすけ)に子どもがいなかったことから、彼の養子となり、政祐の死去を受けて本家を継ぐことになりました。
ちなみに、榊原家宗家は徳川譜代の家臣の中では筆頭格で、政岑は播磨姫路藩15万石の第3代藩主となりました。
倹約令を無視!?
榊原政岑は分家の次男という生まれではあったものの、武士の教養を身につけ、書や将棋に優れ、また芸事にも才能があったといいます。そんな彼ですが、遊び好き・派手好きの面もあったと言われています。
時は享保年間。将軍・徳川吉宗は倹約令を出していましたが、榊原政岑はそれを無視。お酒を楽しんだり、江戸城大手門の警備を担当したときには派手で奇抜な服装で現れたり。
彼には、大名たちが積極的に遊びでお金を使うことで経済を盛んにしようという考えがあったようですが、やはり幕府からは目を付けられてしまいます。
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