遊び好き派手好き、果ては遊女を身請け!徳川吉宗の怒りを買った風流大名・榊原政岑とは?:2ページ目
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高尾太夫を身請け!
榊原政岑のエピソードのなかで、最もインパクトの大きなものが、遊女を身請けした話ではないでしょうか。
彼には正室がいたのですが、女の子を産んですぐに亡くなってしまいます。彼のお抱え能楽者のひとりが、彼を気分転換にと吉原へ連れていきます。
そこで、名妓であった高尾太夫を身請けすることに。身請け金は1千8百両(2千5百両という説も)、そして吉原を貸し切って豪勢な宴会も開いたと言います。
徳川吉宗にとがめられる
この一件は、時の将軍・徳川吉宗の怒りを買うことになります。そして、1741年(寛保元)年10月に隠居のうえ蟄居という処分になりました。
蟄居先は越後高田。藩政の再建に努め、倹約に励みます。また、農民を助ける政策なども行いました。しかし、蟄居から2年後の1743 年(寛保3)年、31歳で亡くなりました。
ちなみに、高尾太夫も高田へ着ていましたが、榊原政岑の死後出家しています。
いかがでしたか?この記事が、みなさんが少しでも日本文化や歴史の面白さに興味を持つきっかけになれば嬉しいです。
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