維新の志士たちもこぞって写真撮影!幕末は日本の写真文化の夜明け:2ページ目
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一方で、下岡蓮杖(しもおかれんじょう)の方は、最初画家を目指して活動していたようです。ところが、偶然見た銀板写真に感銘を受け、事物をそっくり写すには、絵画より写真だと、画家を辞めて下田に行き、タウンゼント・ハリス領事の通訳・ヒュースケンから写真技術を学び、さらにジョン・ウィルソンからも写真機を譲ってもらったりなどしました。
蓮杖が写真館を開いたのは、横浜の野毛で、1867(慶応三)年の末のことでした。彼の写真は外国人客に大変な評判で、一か月に二百五十両も稼いだとの話も伝わっています。
彦馬が西南戦争を撮影したのに比し、蓮杖は1872(明治五)年、新橋駅で行われた鉄道開通式を撮影しました。選んだ被写体が、二人の特徴をよく表しています。
新しいこと・華やかなことが好きだった蓮杖は、ガス灯を作ったり、東京=横浜間に乗合馬車屋を営業したり、石版印刷業を行ってみたりと、多才ぶりを発揮しています。
さらに、鵜飼玉川という人物を、日本初の職業写真師とする説があります。それによると、彼は1860(万延元)年に、横浜で写真館を開いていたアメリカ人・フリーマンから、機材と事業の全てを譲り受け、江戸で開業したということです。
上野彦馬が、日本で初めての写真館を建てたとき、坂本龍馬をはじめ、高杉晋作や伊藤博文といった維新の志士たちが、競うようにここを訪れて、肖像写真を撮らせていたことが残された写真からわかります。
“インスタ映え”なんていう言葉もなかった幕末に、こぞって写真を撮りに来た侍たちが、スマホで簡単に写真が撮れる今の時代にタイムスリップしたら、さぞ驚くでしょうね。
参考
- 長野 重一(他)「 別巻日本の写真家」『日本写真史概説』(1911 岩波書店)
- 西村智弘『日本芸術写真史』 (2008 美学出版)
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