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規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【後編】

規則違反も事後承認!「強運」林銑十郎が首相に上り詰めて自滅するまで【後編】:3ページ目

よく分からない勝敗

林内閣の突然の解散に正当性がないのは明らかで、4月30日に総選挙が行われましたが既成政党の勢力はほとんど変わらず、与党はわずかに40名前後の議席を確保します。しかしもともと少数与党だったため、勝ったのか負けたのかもよく分からない状態でした。

野党議員たちも「食い逃げ解散」で負けてはメンツに関わるので、結束して林内閣に対抗していました。

よって、議会で過半数を取れていない林内閣には総辞職するしか道はなく、大局的に見れば与党の惨敗だったと言えるでしょう。

彼が食い逃げ解散を断行したのは、軍部に有利な政党が結党されるのを期待したからだとされています。ただ彼自身、解散時に「政党の連中に懲罰を与える」などと述べており、当時の多くの軍人が抱いていた政党政治家への恨みと憎しみをぶつけただけとも言えるでしょう。

ざっくり言えば、軍人政治家が政党政治家にケンカを売ったのが「食い逃げ解散」だったと言えます。林は議会の手続きを無碍にするようなタイミングで総選挙に臨み、最終的には自滅しました。

この、大した功績も残さずに自滅した林内閣には「優柔不断内閣」「浮き草内閣」などのあだ名がつけられましたが、最も有名なのは「何もせんじゅうろう内閣」でしょう。

このように、林内閣があまりにひどかったため、次の近衛文麿内閣には過度の期待がかけられることになったのです。

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年
倉山満『真実の日米開戦 隠蔽された近衛文麿の戦争責任』2017年、宝島社
倉山満『学校では教えられない歴史講義 満州事変』2018年、KKベストセラーズ
井上寿一『教養としての「昭和史」集中講義』2016年、SB新書

 

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