将来を嘱望されながら”セリフ死”してしまった織田信忠(信長嫡男)…その生涯を振り返る【どうする家康】:2ページ目
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本能寺の変では、親王殿下をお守りする
……しかし信長はその年の冬を迎えることなく、本能寺で非業の死を遂げてしまったのです。
「父上!」
本能寺の急報を聞きつけ、信忠は滞在していた京都妙覚寺から駆けつけます。途中で京都所司代の村井貞勝(むらい さだかつ)に止められました。
「本能寺はすでに炎上しております。今は親王殿下のいらっしゃる二条の御所に参りましょう!」
信忠は二条の御所におわした誠仁親王(さねひとしんのう。正親町天皇の皇太子)を村井貞勝に護衛・脱出させると、自分たちはわずかな手勢をもって篭城します。
「ここは守るに難うございます。それよりも安土のお城へ戻り、再起を図りましょうぞ!」
家臣たちの進言に対して、信忠は言いました。
「賊はすでに安土への道中に兵を配置しておろう。逃走中に命を落として辱めを受けるより、潔くここで最期を遂げようではないか」
「「「御意」」」
かくして信忠は菅谷長頼(すげや ながより)・福富貞次・毛利秀高(もうり ひでたか)らと共に明智光秀(演:酒向芳)の大軍を迎え撃ちます。
主従とも果敢に奮戦するも衆寡敵せず、ついには自刃して果てたのでした。享年26歳。
終わりに
以上、織田信忠の生涯を駆け足でたどってきました。
なお信忠には天正8年(1580年)に生まれた三法師(さんぽうし。後の織田秀信)と、天正9年(1581年)に生まれた吉丸(きちまる。後の織田秀則)と二人の息子がいたと伝わります。
この三法師はやがて明智光秀を討って信長の仇をとった羽柴秀吉(演:ムロツヨシ)に担ぎ上げられ、政争の具とされるのですが、それはもう少し先の話。
信長・信忠と優秀な指導者を相次いで喪った織田家は、いったいどうなってしまうのか。またNHK大河ドラマ「どうする家康」ではどのように描かれるのか、今から注目ですね!
※参考文献:
- 『寛政重脩諸家譜 第三輯』国立国会図書館デジタルコレクション
- 和田裕弘『織田信忠 天下人の嫡男』中公新書、2019年8月
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