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なぜ徳川家康はたった2年で引退した?「駿府政権」の本当の意義を考える

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駿府政権の政治体制

さて、こうして家康は、いわば駿府政権として政治を行い、駿府城には政治・外交・寺社政策などの重要な分野に詳しい人たちが集められました。例えば有名な家康のブレーンである天海僧正、学者の林羅山などが挙げられます。

こうして、彼は1616年に死去するまで、国を統治していくためのさまざまな政策を行っていきました。

有名な武家諸法度禁中並公家諸法度などは、表向きは徳川秀忠の名前で制定されていますが、実際に起草したのは家康です。また、大坂夏の陣を主導したのも、言うまでもなく彼でした。

家康がこのような政治体制を敷いたのは、必ずしも自分がいつまでも権力者でいたかったからではありません。

強固な政治体制を構築することで大名同士の無用な争いが起きないようにして、室町時代以降の混乱した世の中を平和にするのが目的だったのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

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