武田の騎馬軍団は存在しなかったってホント?戦場で馬に乗るメリット・デメリットを考察【どうする家康】:3ページ目
侍の頭を仕つらん者は
先ほど宣教師の記録に登場した「馬から下りて戦った武士たち」だって、馬術に長けていたならば(もちろん地形的な条件などもあるでしょうが)、馬に乗ったまま戦ったでしょう。
「侍の頭を仕つらん者は馬より下りて鑓を合せ、高名すること多くはあるまじ。馬の上にて下知を致し、そのまゝ勝負をせんならば、片手綱を達者に覚えてこそ」
※『甲陽軍鑑』品第六「信玄公御時代大将衆の事」
【意訳】将たる者が馬から下りては、大した槍働きもできぬ。馬上から兵に下知し、自身も戦うためにこそ、片手で手綱を操る稽古をしておるのだ(正木弥九郎時茂の発言)。
だから武田の猛将・山県昌景(やまがた まさかげ)は、武士が心得るべき「武芸四門(弓術・鉄砲・兵法・馬術)」その中でも、まず馬術の鍛錬を勧めたのでした。
……馬を最前に習ふは、馬と申もの、軍場にて何にたる大身も、代りを立て人を頼みて乗らぬなり。……
※『名将言行録』巻之九〇山縣昌景
【意訳】何をおいても馬術を学ばねばならぬ理由は、どんなに偉い大将であろうと、戦場で代わりに乗ってもらうことができないからである。
古来、武士は「弓馬」の者と呼ばれたように、馬上から矢を放つ(もちろん両手を使う。その時、馬は足で制御する)騎射は当然に出来るものとされました。
平安・鎌倉時代の武士たちに出来たことが、どうして数百年を経た戦国時代の武士たちにはできないのでしょうか。個人差があるのは当然としても、できるように鍛錬して敵を出し抜こうと考えるのが自然です。
そもそも「戦国時代の武士たちが馬で戦ったはずはない」と考える発想からは「そこまでして戦いたくない。乗りこなすのも難しいから無理!」といった現代人的な本音が透けて見えます。
もちろん戦わずに済むなら、戦国時代の武士たちだって戦いたくはなかったでしょう。しかし戦わねば生活が立ちいかない貧しさに迫られて、多くの者たちは戦ったのです。
この世界から、戦争なんてなくなればいいのに……恐らくほぼ全人類の願いがなぜ叶わないのか。
叶わない以上、少しでも強くなって自分たちだけは勝ち抜いて生き延びる。家族を愛し故郷を守るためなら、鬼にも修羅にもなるのです。
その目的を果たすのに有効であるなら、高価だろうが貴重だろうが馬に乗って戦う……それを決断させる切実な事情があったのでした。