鳥羽上皇からの寵愛を受け歴史を動かした平安時代の女性・藤原得子とは?
日本史において、表舞台で歴史を動かしているのは男性が多いように想えますが、実質上の権力を握っていたり、力のある男性に大きな影響を与えていた女性たちも多くいました。
今回ご紹介するのは、平安時代に生まれた藤原得子(ふじわらのとくこ・ふじわらのとくし・ふじわらのなりこ)という女性。
歴史にあまり詳しくない方であればあまり聞きなじみのない名前かと思いますが、実は大きく歴史を動かすことになる人物でもあるのです。
今回は、そんな藤原得子という女性について詳しくご紹介したいと思います。
父の愛を一身に受け育つ藤原得子は、永久5年(1117年)に権中納言の藤原長実(ふじわらのながざね)と左大臣・源俊房の女、方子とのあいだに生まれました。
歴史物語の『今鏡』によれば、彼女の父は「ただ人にはえゆるさじ(=並みの人に嫁がせる気になれない)」と語ったとか。一人娘であったこともあり、父の愛を大きく受けていたのですね。
鳥羽上皇に見初められ、寵愛を受ける
藤原得子の父は、白河院政期には、院近臣(院の近臣。院政期に台頭した新興勢力)でした。父の死後は二条万里小路亭で暮らし始めますが、長承3年(1134年)に鳥羽上皇の寵愛を受けるようになります。これについて、どのような経緯かはわかっていません。ただし、得子は大変な美人だったといいます。
鳥羽上皇は当時、皇后(藤原璋子)がいましたが、藤原得子は鳥羽上皇の寵愛を受け、保延元年(1135年)に叡子内親王、保延3年(1137年)暲子内親王、保延5年(1139年)皇子・体仁親王(後の近衛天皇)を出産します。
当時の天皇・崇徳天皇には子どもがいなかったため、体仁親王が皇太子となり、得子は大出世。藤原得子は藤原璋子を上回る権力を持つことになりました。
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