実は今川氏真の従兄弟!鵜殿長照の最期と子どもたちの行方【どうする家康】:2ページ目
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意外と人望が無かった長照
桶狭間の戦いの敗戦後、長照は今川家から独立した家康と度々対立しました。ただ、よく戦ったのは家康ではなく、配下の竹谷松平家4代当主・松平清善(まつだいら-きよよし)だったみたいです。
加えて、長照は無作法なことがあり、それが要因となって離反者が相次ぎました。それでも清善と戦い続けましたが、永禄5年(1562)に家康から居城である上ノ郷城を攻撃されます。長照は家康相手に奮戦しました。
しかし、甲賀衆の火計による混乱で、上ノ郷城は落城。最終的に、長照は伴与七郎に討ち取られました。
長照の子どもたちや鵜殿家縁者のその後
長照の死後、子の氏長(演:寄川歌太さん)と氏次(演:石田星空さん)は拘束され、家康の妻子(瀬名姫・松平信康・亀姫)との人質交換に用いられました。そして2人は今川家の没落に伴い、永禄11年(1568)に家康に仕えます。
その後、氏長は寛永元年(1624)に76歳で死去。氏次は主君の松平家忠と慶長5年(1600)の伏見城の戦いで戦死しました。
また、長照の妹とされるお田鶴の方(演:関水渚さん)は永禄11年(1568)に家康と戦った末に討ち死に。鵜殿家の者であった西郡局(にしのこおりのつぼね、演:北香那さん)は家康の側室となっています。
最後に
父の長持と違って、人望の無さが仇となってしまった長照。また、清善に夜襲を仕掛けた際、夜通しで博打をやっていたことを計画がバレたと勘違いして撤退してしまった無能さも露呈していました
長照の死によって鵜殿家は没落したものの、子たちが鵜殿の血筋を残したことは素晴らしいと感じました。今川家に最後まで仕えず、見限った判断力も評価できます。
どうする家康では、長照の最後はどのように締めくくられるのか非常に楽しみですね。
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