平安時代にボウガンを開発!?新型兵器で人々を驚かせた平安京の発明王・島木史真のエピソード:2ページ目
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ただあまりの速さに矢が見えず、みんな虚頓(キョトン)としてしまいます(ただ発声のみ聞こゆ。矢の去るを見ず、もってその勁、捷なり)。
「見て参れ」
「ははあ」
果たして矢は遠くまで達しており(インチキ出来ぬよう、その場でつけられた印など確認したのでしょう)、人々はその威力を賞賛。
「これがあれば、辺境警備に心強かろう(まさに辺備の要器をなす)」
かくして真の発明は世に認められ、大いにその名を高めたということです。
終わりに
島木史真。叙外従五位下。天性機巧超群。創意制新弩。回転自在。四面激発。當爲辺備要器。一日執政大臣召請衛府於朱雀門。以試其弩。真自向南射。唯聞発聲。不視矢去以其勁捷也。衆人感其奇巧。承和二年卒。
※『前賢故実』巻之三
以上、島木史真のエピソードを紹介しました。「天性機巧超群」とあるくらいですから、次々と新発明を繰り出して、人々を驚かせたものと思われます。
しかしこれ以外にどんな発明をしたのか、残念ながら記録がなく、また絵図にあるような新型弩が普及した様子も見られません。
恐らく製作のコスト面や部品調達、構造面での問題(メンテナンスの難しさなど)があったのでしょう。
その後、承和2年(835年)に世を去った島木史真。彼が残したものづくり精神は、今も日本人の間に息づいているようです。
※参考文献:
- 菊池容斎『前賢故実』巻之三、国立国会図書館デジタルコレクション
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