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【餅の歴史】「お餅」は縄文時代に伝わった?神聖なイメージから東西の丸餅・角餅の発生まで

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鏡餅から全国へ

さて平安時代には、満月のような形の平たい餅を、三種の神器のひとつである銅鏡の形に似ていることから鏡餅と呼ぶようになりました。

また、満月は望月とも呼ぶことから、鏡餅を拝むと望みをかなえられると信じられていたようです。そのため、正月にやってくる年神様に福と徳を重ねがさねよろしく頂くという意味を込めて、二段重ねで床の間に供えるようになったのです。

鏡餅の形については、人の魂がこもる心臓を模したという説や、人間関係が円満であることを表しているという説もあります。

そして、鏡餅は神への供物として朝廷でも推奨され、正月などのハレの日の行事に欠かせない縁起物として扱われる習慣が広がっていきました。

こうして、近畿圏では鏡餅が正月行事で用いられるようになり、後に東国各地へと広がっていきますが、餅の文化は東西でそれぞれ異なる歴史を歩んでいくことになります。

雑煮に使われる餅の形は東の角餅、西の丸餅といわれ、東日本ではのし餅を切った四角い角餅を、西日本では丸い小餅を食べることが多いです。

雑煮の発祥の地である京都では、餅をついて一つ一つ手で丸めて作る丸餅が主流です。

これは、神聖な食べ物である餅を刃物で切るのはタブーなので、切らなくとも食べやすいように丸い小餅にされたと言われています。

こうして、京都の食文化の影響が大きい西日本では、雑煮に丸餅を使います。

ちなみに、固くなった鏡餅をなどで「開く(たたき割る)」習慣が定着したのも、やはり刃物で切るのがタブーだったからです。

3ページ目 文化圏と地域色

 

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