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【餅の歴史】「お餅」は縄文時代に伝わった?神聖なイメージから東西の丸餅・角餅の発生まで

【餅の歴史】「お餅」は縄文時代に伝わった?神聖なイメージから東西の丸餅・角餅の発生まで:3ページ目

文化圏と地域色

一方、東日本で角餅が広まったのは、のし餅を切って作る角餅が江戸で考案されたのがきかっけです。その経緯にはいくつかの説があります。

ひとつは、将軍のお膝元である江戸で敵をのすという意味でのし餅が使われるようになったという説。

他にも、人口の多い江戸では、竈(かまど)が一つしかない長屋住まいの人も多く、餅をついて丸める余裕がなかったため、手早く大量に作れる製法が広まったという説。

さらに、角餅は隙間なく詰めて保存・運搬できるので使いやすかったとも言われています。

角餅と丸餅の文化圏は、岐阜県の関ケ原周辺を境目としてちょうど東西に分けられるとされています。

が、山形県の庄内地方や岩手県の一部では、船による京都との往来があったため、東日本でも丸餅が主流です。

また逆に、江戸出身の藩主が長く藩主を務めた高知県や鹿児島県では角餅が使われることが多く、各地で地域色が見られます。

参考資料

 

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