「鎌倉殿の13人」恐れる義時、受け入れる義盛。埋まりかけた両者の溝は…第40回放送「罠と罠」振り返り:2ページ目
無数の和田義盛
「……こんなにいらしたんですね」
さすがの巴御前(演:秋元才加)も面食らった義盛の息子たち。
「「「義母上、義母上!」」」
画面を数えてみると16人(出かけていた朝比奈義秀を含めると17人)。多くの視聴者も、そんなにいらっしゃいましたっけ?と思ったことでしょう。
長男・和田常盛(つねもり。42歳)
次男・和田義氏(よしうじ。40歳)
三男・朝比奈義秀(38歳)
四男・和田義直(37歳)
五男・和田義重(34歳)
六男・和田義信(よしのぶ。28歳)
七男・和田秀盛(ひでもり。15歳)
八男・杉本義国(すぎもと よしくに。不詳)※年齢は建暦3年(1213年)時点、『系図纂要』による。
彼らについては『吾妻鏡』『系図纂要』などで確認できたのですが、ほか9名については不明です。彼らについて出典はあるのか、今後確認できたら紹介したいと思います。
また胤長の赦免を願い出るために押しかけた一族98名についても、そのメンバーは不明。
それにしても、胤長が引き出された時によく暴発しませんでしたね。恐らく実際には大河ドラマのようにすぐ近くではなく、実力で奪還されないよう厳重な警備の下に行われたことでしょう。
義盛の背中を押した「小さな悲劇」のこぼれ話
劇中で言及されていた通り、胤長には小さな娘がいました。『吾妻鏡』によると名前は荒鵑(こうけん)。このとき6歳です。
胤長と引き離された悲しみの余り病床に伏し、そのまま帰らぬ人となってしまったのでした。
大河ドラマでは割愛されていましたが、この時に義盛の孫・和田朝盛(とももり。登場せず≒モブ扱い)が彼女のために一芝居打ったエピソードが『吾妻鏡』に伝わります。
日ごろから朝盛は胤長と瓜二つと評判で、もう目も開かなくなっていた荒鵑を励まそうと「父が帰って来たよ」と呼びかけました。
すると荒鵑は一瞬だけ目を開き、すぐに息絶えます。本人が喜んだか確かめるすべはないものの、彼女の目には恋しい父上の姿が映っていて欲しいと願うばかりです。
ちなみに、この和田朝盛にはもう一つエピソードがあります。先代・源頼家(演:金子大地)の寵臣としても使えた朝盛は実朝にも忠義を尽くし、よき理解者でありました。
やがて和田一族と北条≒鎌倉殿の板挟みとなってしまった朝盛は、実朝に別れを告げにやって来ます。
どちらとも争わないため、出家遁世する覚悟を感じとった実朝は、永年の忠義に報いるため数々の地頭職に任じる下文を与えました(出家すれば無駄になると知りながら、何かしてあげたかったのでしょう)。
御所を退出した朝盛は家に帰らず出家、そのまま鎌倉を去るのでした(ただし和田義直に連れ戻されます)。
これら2つの場面はなかなかにドラマチックなので、是非とも描いて欲しかったところです。