覚えてますか?源頼朝に所領を没収された馬面(うまづら)中原知親の意外な一面【鎌倉殿の13人】:3ページ目
中原知親こぼれ話
山木兼隆の縁者 中原知親
森本武晴
伊豆国司の目代・山木兼隆の縁者。顔が長いのが特徴。※NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」公式サイト(人物紹介)より
以上、中原知親の生涯を駆け足で辿ってきました。最後に彼の特徴である顔の長さにまつわるエピソードを一つ。
史大夫朝親ト云者アリケリ、学生ナリケレハ此彼ニ文師ニテアリキケリ、若クテ文章生ニテ有ケリ、事ノ外カホノ長リケレハ、世人長面進士トソ云ケル、世ノ常ナラスオコヒタルモノ也、或時知タル僧ニ輿車ヲ借テ物ヘユキケル程ニ、車ヒキカリケレハ烏帽子ヲ取テ手ニモチタリケリ、サテヒカレ行程ニ法性寺殿御アリキニ参会テマトヒオリケル程ニ、彼モチタル烏帽子ノ事ツヤツヤ忘ニケリ、下テ後ハ小家ナトニモ入ルヘキニ、我ハ文殿ノ衆ニテオノツカラ御書沙汰ノ時ハ参レハトテ、大路ニウスクマリ居タリケリモトトリハナチタル者ノ右ノ手ニ烏帽子サケタリ、オホカタ御前ノ御随身オトカイヲハナチテ咲ヒケリ、
※『十訓抄』より
【意訳】史大夫朝親(知親)という者は学生(がくしょう)として名高く、あちこちで学問を教えていた。
若くして文章生(進士)となるほど優秀であったが、ことのほか顔が長かったので、人々は長面進士とあだ名している。
ある時、輿車(こしぐるま)を借りて外出中、その天井が低かったので頭がつっかえないよう烏帽子を外していた(どうせ外からは見えないのだから、問題なしと判断したのであろう)。
するとそこへ法性寺殿(ほっしょうじどの)こと主君の藤原忠通(ふじわらの ただみち)がやってきたので、烏帽子を脱いでいることも忘れて腰から飛び出してしまったのである。
終わりに
「……あ」
後はお察しの通り、丸裸の頭髪を衆目に晒し、失笑(というより大爆笑)されてしまったのです。原文「顎(おとがい。アゴ)を(解き)放ちて咲(笑)いけり」という表現が、知親の恥ずかしさを物語ります。
大河ドラマの一幕々々に消えて行った脇役たちも、調べてみるとこうした興味深いエピソードがたくさん。他の者たちについても、改めて紹介して行けたらと思います。
※参考文献:
- 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 1頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年11月
- 田中健三『詳註新撰 十訓抄』当倫書房、1931年4月
- 笹川種郎ら編『史料大成 第23』内外書籍、1935年7月