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届け出が受理されれば殺してもOK…恐ろしすぎた日本の「奴隷制度」と驚くべき撤廃の理由

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奴婢の扱い

五色の賤の中でも下位に位置する「公奴婢」は朝廷の雑用係として働かされ、「私奴婢」は豪族の所有物で牛馬などの家畜と同様の扱いを受けていました。

たとえば、良民の口分田を耕すのはもちろんのこと、自分の持分である口分田も耕して税金を納めなければならずコキ使われる日々が続きます。また、当然のように人身売買や主人による奴婢の交換がおこなわれたほか、「良民が役所に届け出をして受理された場合は、奴婢を殺しても罪に問われない」といったこともあったようです。

こうした奴婢のなかにも救済処置はありました。

主人に役所へ届け出を出してもらうか、長生きをして一定の年齢になれば良民になることもできたといいます。ただ、こういった者の多くは「元良民だったが、借金を背負って破産し奴婢になった者」に適用されることが多かったようで、もともと奴婢だった者が良民になれる可能性は極めて低かったようです。

奴隷制度の終わり

平安時代になると、社会が発展したことで奴隷制度が徐々に下火になったほか、良民が自分の子を「賎民」だと偽って申請することが増えていきました。これは、賎民の「陵戸」、や「官戸」、「家人」であれば良民と違い、税金を納めなくても口分田が貰えたからです。

こうした事件もあって、200年以上続いた奴隷制度は907年に撤廃され、奴婢から解放された人々の多くは農民として自立していきました。

 

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