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江戸時代の京都を守ったお城は二条城ではなく、2つの浄土宗寺院だったー2023年大河『どうする家康』こぼれ話【後編】

江戸時代の京都を守ったお城は二条城ではなく、2つの浄土宗寺院だったー2023年大河『どうする家康』こぼれ話【後編】:2ページ目

北方・西方からの敵の動きを監視する「金戒光明寺」

「金戒光明寺」は、浄土宗の大本山で、法然上人が比叡山を降りた際に、草庵を結び浄土宗最初の寺院としました。京都の人々からは、「黒谷さん」の呼び名で親しまれています。

小高い丘の上にある寺域からは、西山連峰・京都御所・小倉山・淀川などを広範囲に望め、北や西から迫る敵を見渡せます。約4万坪の広大な寺域には多くの軍勢を収容でき、幕末には、京都守護職を拝命した会津藩主松平容保が本陣を置きました。

境内の墓地の中でも最上部に位置する山上墓地の北東側に「黒谷会津藩墓地」があります。塔頭の西雲院が管理する300坪の墓域には1862(文久2)年~1867(慶応3)年の間に京都で亡くなった会津藩士352名が祀られています。

特に、鳥羽伏見の戦いで戦死した115名は「会津藩鳥羽伏見戦死者慰霊碑」として祀られ、毎年6月第2日曜日には、殉難者追悼法要が営まれます。

3ページ目 石段と石垣に囲まれた「知恩院」

 

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