伊達政宗が「独眼竜」になった原因の病とは?そして隻眼でない肖像画が多く残っている理由
「独眼竜」の理由は?
「独眼竜」として知られる伊達政宗(だてまさむね)ですが、彼が片目を失った原因はなんだったのでしょうか。
それが少なくとも外傷によるものではなかったことを示す証左として、政宗の遺骨があります。
1636年に政宗が逝去すると、翌年、仙台に瑞鳳殿と呼ばれる霊廟が建てられました。これが1945年、戦火に焼かれ焼失します。
これが戦後に再建されることになり、1974年、事前に墓室の発掘調査が行われました。そこで政宗の頭蓋骨が調べられ、右目の眼窩には損傷がないことが確認されています。
このことからも、彼の失明は落馬や刀による切り付けなどの外傷が原因ではなかったことが分かります。
天然痘による失明
では原因は何だったのかというと、最も信憑性が高いのが「天然痘」です。
仙台藩の正史である『伊達治家記録』によると、政宗が天然痘に罹患したのは5歳頃。目に膿疱ができ、右の眼窩が盛り上がって、まるで目が飛び出ているような外見になってしまったと言われています。
かつて、日本だけでなく世界各地で猛威を奮っていた天然痘は、感染率も致死率も高いやっかいな感染症でした。1796年にワクチンが発見され現在は根絶に至っていますが、政宗が罹患したと思われる1570年頃には特効薬もありませんでした。
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