なぜ熊野詣に後白河法皇・後鳥羽上皇ら時の権力者たちは夢中になったのか?そもそも熊野詣ってなに?【その2】:4ページ目
那智の滝 飛瀧神社
熊野那智大社の別宮、飛瀧神社(ひろうじんじゃ)のご神体として古くから畏敬を集めてきた名瀑で、「一の滝」と称されます。那智の滝とは、那智山内の瀧篭修行の行場とされた48滝の総称でしたが、 今はこの「一の滝」を指します。
青岸渡寺開祖と伝えられる裸形上人 や花山法皇も二の滝の断崖上に庵を設けて、3 年間にわたる千日滝篭行をしたと伝えられています。「一の滝」は、落差 133m、滝壺の深さは10m と一段の滝としては、落差日本一で見る者を圧倒する迫力です。
那智山 青岸渡寺
本尊の如意輪観世音像は、4 世紀にインドから那智に渡来した裸形上人が、那智滝の滝壺で見つけたといわれる観音様です。飛鳥時代には、推古天皇の勅願寺となり、丈六の本尊を安置し、その胎内に裸形上人が感得した如意輪観音を納めたと伝わります。
桃山時代の様式を今に伝える本堂後方には、那智の滝との調和が美しい三重塔が建ちます。
【その2】はここまで。熊野三山は、神話の時代に期限を発するような錚々たる神社であることをお分かりいただけたでしょうか。
【その3】では、なぜ多くの上皇たちが熊野御幸を行ったのか、後白河法皇・後鳥羽上皇を中心に、その核心に触れていきたいと思います。
◎参考文献
『世界遺産 熊野古道 ~とっておきの聖地巡礼 歩いて楽しむ南紀の旅~』 メイツユニバーサルコンテンツ刊・伊勢・熊野巡礼部著(編集・執筆:高野晃彰)]