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「鎌倉殿の13人」これは謀反か敵討ちか…第23回放送「狩りと獲物」振り返り

「鎌倉殿の13人」これは謀反か敵討ちか…第23回放送「狩りと獲物」振り返り:2ページ目

矢口の祭りについて

ちなみに劇中でも描写されていた矢口の祭り。『吾妻鏡』ではこのような段取りで進められました。

少し長くなりますが、こういう文化習俗に興味があるので、特に紹介させていただきます。

……於其所被祭山神矢口等。江間殿令献餠給。此餠三色也。折敷一枚九置之。以黒色餠三置左方。以赤色三置中。以白色三居右方。其長八寸。廣三寸。厚一寸也。以上三枚折敷。如此被調進之。狩野介進勢子餠。將軍家并若公敷御行騰於篠上令座給。上総介。江間殿。三浦介以下多以參候。此中令獲鹿給之時。候而在御眼路之輩中。可然射手三人被召出之。賜矢口餠。所謂一口工藤庄司景光。二口愛甲三郎季隆。三口曾我太郎祐信等也。梶原源太左衛門尉景季。工藤左衛門尉祐經。海野小太郎幸氏爲餠陪膳。持參御前。相並而置之。先景光依召參進。蹲居取白餠置中。取赤置右方。其後三色。各一取重之〔黒上。赤中。白下〕置于座左臥木之上。是供山神云々。次又如先三色重之。三口食之〔始中。次左廉。次右廉〕發矢叫聲。太微音也。次召季隆。作法同于景光。但餠置樣。任本躰不改之。次召出祐信。仰云。一二口撰殊射手賜之。三口事可爲何樣哉者。祐信不能申是非。則食三口。其所作如以前式。於三口者。將軍可被聞召之趣。一旦定答申歟。就其礼有興之樣。可有御計之旨。依思食儲。被仰含之處。無左右令自由之條。頗無念之由被仰云々。次三人皆賜鞍馬。御直垂等。三人又献馬。弓。野矢。行騰。沓等於若公。次列座衆預盃酒。悉乘醉云々。次召蹈馬勢子輩。各賜十字。被勵列卒云々。

※『吾妻鏡』建久4年(1193年)5月16日条

【意訳】万寿が鹿を射止めた場所で矢口の祭りが行われました。義時が三色(黒・赤・白)の餅をお供えします。
一枚の折敷(おしき。器)に黒餅3つ、赤餅3つ、白餅3つが左から並べられ、餅の大きさは長さ8寸×幅3寸×厚さ1寸(約24センチ×約9センチ×約3センチ)。この折敷が三枚供えられました。
狩野介宗茂(かのうのすけ むねもち)は勢子(せこ。獣を茂みなどから追い立てる役目の者)の分の餅を供えます。
頼朝と万寿は笹に行縢(むかばき。下半身を保護する毛革)を敷いて座り、傍らには足利上総介義兼(あしかが かずさのすけよしかね)・義時・三浦介義澄(演:佐藤B作)が控えていました。
お供えした矢口の祝い餅はこの日特に猟果のよかった御家人に与えられ、一番手には工藤庄司景光(くどう しょうじかげみつ)、二番手は愛甲三郎季隆(あいこう さぶろうすえたか)、三番手は曽我太郎助信(そが たろうすけのぶ。曽我兄弟の継父)が選ばれます。
祝い餅の授与係は梶原源太景季(演:柾木玲弥)・工藤左衛門尉祐経(演:坪倉由幸)・海野小太郎幸氏(演:加部亜門)が務めます。
最初に呼ばれた景光は前に進み出て蹲踞(そんきょ。力士が取組前にとるポーズ)をとり、白い餅をとって真ん中におき、その右側に赤餅、左側に黒餅を並べたあと、これらを(上から黒・赤・白の順に)重ねてそばに転がっている倒木の上に置きました。
これはいただいた祝い餅を山の神様に奉げるポーズであり、再び餅をまとめて手にとり、三回かじります。
一口目は真ん中、二口目は左側、三口目は右側をかじってから、矢叫び(やたけび)の声を上げました。しかし餅をかじって喉が渇いてしまったのか、とても小さな声でした。
愛甲季隆、曽我助信もこれに続きますが、景光の見様見真似だったせいか作法に抜けがあり、頼朝は少し残念に思ったとか。
とは言えハレの矢口祝いですから、三名に対して鞍を置いた馬と頼朝が着ていた直垂(ひたたれ)を与えました。三名はお返しとして馬と弓矢、行縢や沓(くつ)などを万寿に献上します。
そしてみんなに酒と饅頭が振る舞われ、楽しく過ごしたのでした。

……劇中でも餅が上から黒・赤・白で重ねられ、万寿が真ん中・左・右の順でかじっていましたね。

ただ、出来れば矢口の祭りは屋外でやって欲しかったと思います。地面(ここでは笹の上)に行縢を敷いて座るというのは武士の作法で、征夷大将軍という雲の上の存在となっても、頼朝と万寿が「あくまで武士の棟梁」であることを示しているのです。

源氏の嫡流であり、どれほど偉くなっても自分は一人の武士であり、みんなと同じ武士の棟梁として君臨する。

御家人たちは自分たちと同じ目線に立ってくれる(同じ場所に同じ作法で同席してくれる)頼朝を愛し、また万寿にもそんな鎌倉殿を継承して欲しいとの思いを新たにする胸熱シーンなのですが……まぁ、本作の頼朝はそんなことしてくれませんよね。はい。

3ページ目 「だって鹿でしょ?」そっけない政子の態度

 

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