【真説 鎌倉殿の13人】源義経が一ノ谷の戦いで行った奇襲・逆落としの真相は三種の神器の奪回にあった【前編】:2ページ目
源氏・平氏の本当の兵力を考える
平氏が陣を構えた一ノ谷は、おおよそ東が生田、中央が福原、西が塩屋の範囲で、その長さは約10キロにおよびます。前面に瀬戸内海、背後には絶壁の崖が迫る地形。しかも東側は開けているものの、西側は細い道が一本通るだけという要害と呼ぶにふさわしい場所でした。
総大将の平宗盛は東側の生田口を大手として平知盛、西側の塩屋口を搦め手として平忠度、福原背後の夢野口に平通盛・教経兄弟をそれぞれ主将に任じます。そして、中央に安徳天皇を奉じた宗盛が陣取りました。
ここで源平両軍の兵数を『平家物語』『吾妻鏡』と『玉葉』に従い、その布陣を考えてみましょう。
『平家物語』『吾妻鏡』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(50,000騎):源氏(50,000騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(10,000万騎):源氏(8,000騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊10,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(10,000騎):源氏(7,000騎)
『玉葉』による兵力分布予想
(1)生田口(大手)=平氏(8,000騎):源氏(1,500騎)
(2)夢野口(山手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
※平氏は福原付近に宗盛本隊2,000騎
(3)塩屋口(搦め手)=平氏(5,000騎):源氏(500騎)
いかがでしょうか。『平家物語』『吾妻鏡』に従えば、がっぷり四つに組んだ戦ができそうですが、『玉葉』では普通に考えれば源氏に勝ち目はありません。
源氏軍は木曽義仲を討った範頼・義経の京都駐留軍がそのまま一ノ谷に向かったことは間違いないでしょう。その時の総勢は範頼30,000騎、義経25,000騎とされています。そう考えると、源氏軍の総勢は70,000騎近くいたとしても問題ないでしょう。