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そんな理由で!?平安時代、子供を殺した男に下された処分があんまり過ぎる……

そんな理由で!?平安時代、子供を殺した男に下された処分があんまり過ぎる……:2ページ目

「かの者は父母の代から御当家(≒実資)に仕えて参りました。それが今、検非違使の獄中で赤痢をわずらっております。気の毒とは思いませぬか」

……季武一人を見れば気の毒と思えなくもありませんが、その苦境は子殺しの所業ゆえですから、まさに自業自得……ですが、行円は続けます。

「先の天変地異は貴人の身を慎まぬがゆえにございますれば、ここは一つ、穏便に処されてこそ、天下の秩序も取り戻されましょう」

先の天変地異とは昨年7月に発生した鴨川洪水でしょうか。既に一年以上経っているものの、現代と違って復旧もままならず、いまだ爪痕が残っていたものと考えられます。

当時は災害を「政治や為政者の乱れに対する天の怒り」などと考えていたため、実資も季武を赦すことで天の赦しを得ようと考えたようです。

「慣例では故殺の優免は認められないが、今回は特別に権議(けんぎ。是非を検討)しよう」

結局、実資は検非違使別当の藤原頼宗(ふじわらの よりむね)に季武の優免を申請。その身は解放されたのでした。

「……この御恩、生涯忘れませぬ!」

喜んだ季武は大いに励んで実資の知家事(ちけじ。政所の下家司)に抜擢され、その後も活躍したということです。

終わりに

二日 辛卯 有犬死穢、令立簡、
皮仙来、懇切觸可免季武之由、余答云、縁所犯不軽、搦身出検非違使廰了、至今難進止、使廰曲優免者、只以耳不可陳非理由、件季武成長自家者也、又父母共数年僕従、然而季武所為極非常、仍出使廰、而重煩赤痢……(以下、欠文多し)

※『小右記』寛仁2年(1018年)10月2日

【意訳】2日、犬の死穢(死骸によってその場所が穢れること)があったため、高札を立てて注意を促すよう命じた。

皮仙が来て、季武を免ずべきと懇願してきたので、余は「子殺しの罪は軽からず、その身を検非違使へ突き出したため、今になっては処罰を止め難い」と答える。

しかしかの季武は我が家で成長した者であり、その父母も永年仕えてくれた。そんな季武は検非違使庁の獄中で赤痢に苦しんでいる……。

「貴人は身を慎むべし」転じて季武の子殺しを実質的に黙殺した実資でしたが、果たしてそれが天意に適うものであったか否か……その答えは、寛仁4年(1020年)4月に大流行した天然痘だったのかも知れません。

罪なき子供たちが次々と亡くなり、愛する我が子を喪った両親の悲しみが世を覆ったことでしょう。

実資ひとりが責められて済む話ではないものの、子供の命を奪う罪の重さと、それを見逃す業の深さが痛感されます。

※参考文献:

  • 倉本一宏『平安京の下級官人』講談社現代新書、2022年1月
  • 笹川種郎 編『史料通覧 小右記 二』日本史籍保存会、1915年5月
 

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