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もぐり込み失敗!平安時代、宴席から追い出されてしまった下級貴族たちの憂鬱

もぐり込み失敗!平安時代、宴席から追い出されてしまった下級貴族たちの憂鬱:2ページ目

好忠、重節その後

「「あ~あ……」」

せっかくのチャンスをつかむことが出来ず、とぼとぼと家路をたどる二人。家では副収入を楽しみにしている家族がいるのかいないのか、期待を背負っていたのだとしたら、そのやるせなさは察するに余りあります。

由良の門を 渡る舟人 舵を絶え 行方も知らぬ 恋の道かな

【意訳】舵を失ってしまった舟のように、私の恋がどうなるのか分からない……。

好忠は「小倉百人一首」にノミネートされるなど、和歌では名をなしたものの身分は低く、生涯六位に留まりました。

永く丹後掾(たんごのじょう。掾は国司の三等官)を務めたことから「曽禰丹後掾」と呼ばれ、やがて略されて「曽丹後(そたんご)」、果てはそれすら面倒なのか「曽丹(そたん、そた)」など嘲られたと言います。

実に気の毒ではありながら、好忠は好忠で自尊心が強く、偏狭な性格だったため周囲からは嫌われていたとか。

貴族社会でいじめられたから偏狭になったのか、偏狭になったからいじめられたのか、実に微妙なところですね。

一方の重節は、今回のエピソードのほか天禄3年(972年)に伊予掾として名前が出た以外、その生涯はほとんど不明。一応は歌人として知られた好忠よりさらに不遇であったことが察せられます。

下級貴族たちの無念

ところで貴族社会における官位は、五位以上と六位以下で暗く深い溝があり、正一位(じょういちい)から少初位下(しょうそいのげ)まで一口に「平安貴族」と言ってもその扱いは雲泥の差でした。

五位(従五位下)以上は内裏に昇殿できる≒皇族がたに謁見できる「殿上人」であり、そこまで昇って初めてまともな貴族と見なされたのです。

「あと一歩。あと一歩で、俺も憧れの『貴族』になれる……」

そう願いながら官界を去っていった下級貴族(特に六位の者)たちの無念は、現代の出世競争にも通じるものを感じます。

※参考文献:

 

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