鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府…で、「幕府」って何?驚くほど曖昧なその定義と用法:2ページ目
「幕府=征夷大将軍」でもない
ここで思いつくのが、水戸学でも取り上げていた「征夷大将軍」です。日本史の教科書でもよく、「朝廷から征夷大将軍の地位を与えられたから幕府を開いた」という、分かったような分からないような説明がなされてきました。
つまり「幕府=征夷大将軍を中心とした武家政権による権力機構」ということです。
しかし、そうとも言い切れないのです。ここで問題になるのは、「室町幕府が滅んだのはいつなのか」ということです。
確かに教科書的には、源頼朝、足利尊氏、徳川家康と、どれも征夷大将軍の地位を朝廷から得て幕府を開いたという説明がなされます。
一方、室町幕府が滅亡したのは1573年で、最後の将軍である足利義昭が織田信長から追放されたのが滅亡の理由だとされています。しかし、義昭はこの時、征夷大将軍の官位を返上してはいません。
それどころか、各地を転々としながらも、一定の権威は保ち続けていました。
室町幕府は滅亡したものの、最期の将軍はいつまでも征夷大将軍のままだったのです。彼が官位を返上したのは、豊臣秀吉が天下を取った1588年のことでした。
「そんなの、義昭が勝手に名乗っていただけじゃないか」と言われそうですが、そうでもありません。秀吉は信長の死後、天下統一のための外交や九州平定の際に、義昭の地位を利用しているからです。
室町幕府は滅んでも、みんなが彼のことを権威ある征夷大将軍だと認識していたのです。
つまり、征夷大将軍はまだ存在していたにも関わらず、1573年に室町幕府は滅んだということです。
では、「幕府」は、いわゆる征夷大将軍がいてもいなくても関係ない、それ自体が権力や支配力を持った統治機構、政治体制のことを指すのでしょうか。
そこまで考えたところで、次に問題になるのが「じゃあ鎌倉幕府の成立はいつなのか」です。