地味だけれども優れた二代目。北条義時・足利義詮・徳川秀忠の資質とは? 【後編】:3ページ目
徳川300年の土台を築いた二代目・徳川秀忠
幕府を開いた歴代将軍で最も評価が高い徳川家康。徳川秀忠は、その三男として生まれ、江戸幕府二代将軍となりました。
この人も、父家康、息子で三代将軍の家光(鎖国や参勤交代などの功績で有名)と比べると、やはり地味な存在と言わざるを得ません。しかも、関ケ原、大阪の陣という大切な合戦で、家康に叱責されるという残念なエピソードばかり知れ渡り、戦下手な武将というレッテルさえ貼られている始末です。
ただ、秀忠の真骨頂は、政治家として優れた資質を持っていたことです。江戸幕府の政権安定の屋台骨ともいえる武家諸法度と禁中並公家諸法度を制定したのです。
秀忠が将軍職に就いたころ、江戸幕府の政治は、駿府にいる家康が行う大御所政治と江戸にいる秀忠が行う幕府政治の二面性で成り立っていました。普通なら、将軍として独裁を振るいたいところですが、秀忠はその真面目さから、カリスマである父を立てたのです。
まだまだ徳川氏に代わって天下取りの野望に燃える大名を統制し、幕府権力を盤石にするためには、家康・秀忠父子が協力して政権を運営するシステムが必要でした。
秀忠は、家康の期待に応え、内政強化に努め、江戸幕府の基盤を強固なものにしていきました。秀忠がいたからこそ、江戸幕府は260年にわたる政権を維持できたといっても過言ではないでしょう。
いかがでしたでしょうか。社会の教科書にもあまり登場しない地味な存在の三人ですが、彼らがいたからこそ、その政権は長く、安定したものになったのです。
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