これは驚き!江戸時代初期の蕎麦は、茹でずに蒸していたんだって:3ページ目
「そんな毒虫を蕎麦切に入れて、人に食わせるとはどういう了見だ。こんなサービスの悪い店に、鐚(びた)一文も払えるか!」
【原文】「さやうなる毒、そば切に入れ、人に食はせてよきか」とさまゞゝねだり、「代物一文も置くまじき」といふ。
……要するにイチャモンをつけて飲食代を踏み倒そうとしたのですが、こんな手合いには慣れたもの、店主は毅然と反論します。
「そういう三文芝居は余所でやんなさい。ここらじゃ子供も騙せませんぜ」
【原文】「さやうのわやは、外にて申されよ。このあたりにては無用」
アテが外れて出鼻を挫かれた男は逆ギレしますが、それでも店主は動じません。
「表の看板をよくご覧なさい。『むしそば切』と書きつけてあるでしょう。虫が入っていても問題ありません」
【原文】「その方には表の看板を何と見られ候や。『むしそば切』と書付けたり。虫はありても苦しからず」
いや、もし虫が混入していたら問題大アリでしょうが、今回は単なる言いがかり。
「答えられたら、お代はいただきませんが……まだ何か、言いたいことは?(原文:この返答し給はば、代物一銭も取るまじ)」
店主に完全論破されてしまった男は、自分の非を認めます。
「参りました。私は油虫でございます(原文:その儀ならば、我等をば、あぶらむしにし給へ)……」
油虫とは植物にびっしりと集(たか)る習性から(他人に金銭などを要求する)タカリ屋の隠語で、言いがかりをつけて蕎麦や酒をタカろうとしたことを誤ったのでした。
ここで話のオチですが、恐らく男は有り金をすべて払った後に、不足分は皿洗いなどして穴埋めさせられたのでしょう。
終わりに
以上は江戸時代、元禄3年(1690年)ごろに発行された『かの子ばなし』に収録されたエピソード(けんどんは時の間の虫)ですが、料理にわざと虫や異物を忍ばせて代金を踏み倒そうとする手口は昔からあったんですね。
ちなみに馬陸(ヤスデ)とは蜈蚣(ムカデ)を小型化したような虫で、踏んづけると異臭を発するものの、特に毒はなく、手に持つなどするとくるっと丸まって身を守る様子が、子供のころは愛らしく思ったものでした。
今では製麺技術の向上によって十割蕎麦も当たり前に楽しめるようになりましたが、蒸した蕎麦切の味わいも、機会を作って体験してみたいものですね。
※参考文献:
鈴木健一『風流 江戸の蕎麦 食う、描く、詠む』中公新書、2010年9月