これは驚き!江戸時代初期の蕎麦は、茹でずに蒸していたんだって:2ページ目
「むしそば切」の代金を踏み倒そうとした男
今は昔、武家の中間(ちゅうげん。下人)らしき男が浅草諏訪町(現:東京都台東区駒形)あたりを通りがかった時、蕎麦屋の呼び込みが聞こえました。
「蒸籠むしそば切、一膳七文」
そう言えば腹が減っていたので、一つ食って行こうと財布を確認したところ、銭がわずか十四、五文しかありません。
これでは二膳しか食えませんが、細かいことは寄ってから考えようと思ったのか、暖簾をくぐるよりも早く蕎麦の御膳が出てきました。
(品数が一種類しかないのでしょうか、いかにせっかちな江戸っ子も、これなら文句のつけようがありませんね。でも、そんなに早いということは、ほぼ作り置きな訳で……)
「美味い!」
あれよあれよと気づけば四膳も平らげており、これで代金は二十八文。改めて身の回りを探してみても、やはり他に銭はなく、手持ちは変わらず十四、五文。
(食ってしまったが銭は足りない……さぁ、どうしたものか)
よし、こうなったらと男は肚を決めて酒を追加で注文します。量り売りなのか、二十四文ぶんと酒を注文してこれも呑み干しました。これで合計五十二文。
(あぁ、食った呑んだ……)
そこで男は足元の地べたを這っていた馬陸(ヤスデ)という虫をつかまえ、半分ばかり食い残しておいた蕎麦の椀に放り込んで店主を呼びます。
男「おい、この辺りには馬陸が多いのか(原文:このあたりには、やすでといふ虫多くありや)」
店主「へぃ、多うございます(原文:なるほど、大分ござります)」
男「馬陸は踏んづけると変な匂いを発する毒虫じゃな(原文:あれは、ことの外くさきものにて毒なり)」
店主「へぇ、お世辞にも香(かぐわ)しくはありませんな(原文:なるほど、くさきものにてござる)」
そこで男はドヤ顔で馬陸の入った蕎麦椀を突き出して示しました。
3ページ目 毒虫を蕎麦切に入れて、人に食わせるとはどういう了見だ!