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まるで呪文じゃないか!平安貴族・藤原公任の明らかに長すぎる肩書と絶えない苦労【光る君へ】

まるで呪文じゃないか!平安貴族・藤原公任の明らかに長すぎる肩書と絶えない苦労【光る君へ】:2ページ目

別当:ここでは検非違使(けびいし。京都洛中の治安組織)の長

参議:朝議(国政の議論)に参加する官職。現代で言う国会議員

従三位:三位の官位で、正三位の下

:はさみ言葉。官位が官職よりも高い場合に入れる(ここでは従三位>皇后宮大夫)

皇后宮大夫:皇后のお世話をする部署の長

:現代と同じ意味(兼任、兼務)

勘解由長官:地方行政を監査する部署の長

右衛門督:大内裏の門を衛(まも)る役職だが、後に検非違使が兼務

備前権守:備前は現代の岡山県南東部。権守は国司(守)の補佐官

朝臣:朝廷に仕える臣下。正式な官位官職を有する者を指す

……これらの肩書を掛け持ちして(させられて)いた長保元年(999年)当時、公任は34歳、まさに働き盛りでしたが、いくら何でも一人で抱え込み過ぎでした。

と言うのも、公任の上司に当たる右大臣の藤原顕光(あきみつ)、内大臣の藤原公季(きんすえ)、大納言の藤原道綱(みちつな)が揃ってアレであったため、本来彼らのなすべき仕事が、そのすぐ下にいた公任にのしかかったのです。

公任もあれこれ手を尽くして、仕事をそのまた部下に割り振ってはみたようですが、どうしても割り振れなかった分については、投げ出す訳にも行かないので抱え込まざるを得なかったのでしょう。

ちなみに、朝廷における臣下のナンバーワンはかの有名な藤原道長(みちなが。左大臣)。そのコネでナンバー2~4を抜擢した結果、公任一人にこんな長ったらしい肩書を押しつけることになってしまったのでした。

終わりに

かくして「別当参議従三位行皇后宮大夫兼勘解由長官右衛門督備前権守」という27文字にもなる長い長い肩書をぶら下げることとなった藤原公任。

検非違使「洛中で事件が起こりました!」

勘解由使「地方で官人が不祥事を起こしたようです!」

備前国司「領民どもが不平を申し立てておりますぞ!」

「ご指示を!」「ご指示を!」「ご指示を!」

……その後も様々な役職を兼務したり辞めたり、万寿3年(1026年)に61歳で出家・政界を引退するまで、ワーカホリックな日々を駆け抜けたのでした。

※参考文献:
繁田信一『平安朝の事件簿 王朝びとの殺人・強盗・汚職』文春新書、2020年10月

 

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