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脇差は武士の命!戦国大名・伊達政宗が愛用した刀剣「鎬藤四郎」のエピソード

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エピローグ・命の「使いどころ」

天下人に楯突いてまで守り抜いた「命」鎬藤四郎でしたが、政宗はその「使いどころ」を心得ていました。

時は寛永13年(1636年)5月24日、70歳の生涯に幕を下ろそうとしていた政宗は、その枕元に嫡男・忠宗を呼んで遺言します。

「よいか。わしが死んだら、鎬藤四郎を上様に献上するのじゃ。それと引き換えに普請のお願いをすれば、きっと聞き入れられよう……」

(※もちろん他にも伝えていますが、ここでは割愛)

この普請のお願いとは本拠地の仙台城に二の丸を造営する件と言われており(諸説あり)、なかなか許可が下りなかったそうですが、鎬藤四郎と引き換えに認めてもらえと言っているのです。

「我が命(愛刀)に換えての願い、よもや聞かぬとは申すまいな?」

とまでは流石に思っていなかったでしょうけど、ともあれ普請の許しが出たと言いますから、なかなかの「使いどころ」だったと言えるでしょう。

その後、鎬藤四郎は徳川家に代々受け継がれていったものの、明暦の大火(明暦3・1657年3月2~4日)で焼失してしまいました。

人間、生まれた以上は必ず死ぬもの。だから命を惜しんでいても始まりませんが、さりとて一つしかない命のを使いどころを最大限に活かした政宗の器量を、私たちも見習いたいものです。

※参考文献:
三浦竜『日本史をつくった刀剣50』KAWADE夢文庫、2020年1月
歴史群像編集部『図解 日本刀事典 刀・拵から刀工・名刀まで刀剣用語徹底網羅!!』学研プラス、2006年12月

 

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