胸中に秘めた熱い心…「鎌倉殿の13人」梶原景時が源平合戦で見せた獅子奮迅の大暴れ!:2ページ目
孤軍奮闘する景季を救いに……
「源太!源太がおらぬ!源太!」
ただ独り敵中で血路を斬り拓くべく闘っている景季の姿を思い浮かべ、景時は今にも泣きだしそうな勢い。
「源太!今すぐ助けるぞ、待っておれ!」
先ほどは口酸っぱく景高をたしなめていた景時ですが、景季を喪ってはならぬとたった一騎で敵中へ殴り込みます。
「父上を討たせてはならぬ!者ども続け!」
「「「お、おおぅ……っ!」」」
全力で敵中へ駆け込んで引き上げて、また駆け込んで……郎党らは大変だったでしょうが、景季の命がかかっていますから、泣き言なんて吐いていられません。
「源太!」
果たして見つけた景時は、ただ一人で大軍に包囲されながらもなお闘志を絶やすことなく、背後から攻撃されぬよう、梅の木を背に奮闘していました。
「おぉ、無事だったか!心配したぞ!」
景時らの姿に安堵の笑みを浮かべた景季は、その箙(えびら。矢を入れる腰箱)に梅の枝を挿しており、味方はもちろんのこと、敵方の平氏ですら
「東夷(あづまゑびす。東日本住民≒坂東武士に対する蔑称)にも梅を愛する風雅の者がおった」
など称賛の声が上がるほどであったと言います。
「それはそうと父上、いつまでも子供扱いはおやめ下され!」
「うるさい!いくつになろうが、そなたは我が子……いいから帰るぞ!」
かくして梶原父子はみんな無事に生還。この武勇を人々は「梶原の二度駆け」と称えたのでした。
終わりに
その後、景季らは敵将・平重衡(たいらの しげひら。清盛の五男)を捕らえるなど武勲を立て、大いにその勇名を高めます。
梶原景時と言えば、源義経(よしつね)をはじめ、多くの御家人たちを讒訴(ざんそ。他人を陥れる訴え)によって葬り去った冷徹非道の極悪人と思われがちですが、家族思いであったことは元より、無実の御家人については庇うこともありました。
私情を排して任務に臨む公正な態度が、時として(こと都合の悪い者にとっては)冷徹に見えることもあったでしょうが、すべては頼朝公の、ひいては鎌倉のため……その胸中に秘めた熱い忠義の心が、近年見直されつつあります。
※参考文献:
石川透ら『源平盛衰記をよむ 源氏と平家合戦の物語』三弥井書店、2013年3月
梶原正昭ら校注『平家物語』岩波文庫、2000年7月