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大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯

大河ドラマ「青天を衝け」渋沢栄一を世に送り出した父・渋沢市郎右衛門の生涯:3ページ目

尊皇攘夷の志士となった栄一を送り出す

「……どうしても行くんか?」

「はい。父上には申し訳ないのですが……」

時には非合法な行為に及ぶかも知れず、家族に迷惑がかからぬよう、栄一は市郎右衛門に対して自分を勘当(かんどう。親子の縁を切ること)するようお願いしますが、父はそれを認めませんでした。

「いや。どこへ行こうが何をしようが、お前はわしの自慢の息子じゃ。そのお前がこれだけ考えて決断したことであれば、いかなる連座(連帯責任)も、甘んじて受けてやろうじゃないか」

そう言って餞別に金100両を栄一に贈ります。

「よいか。男児がひとたび志して起つ上は、決してお天道様に恥じることのないよう、また後悔のないよう、思い切り暴れて来い!」

「はい!」

かくて尊皇攘夷の志士として故郷を飛び出していった栄一の背中を見送りながら、市郎右衛門は嘆息します。

本当だったら、自分が飛び出していきたいところ……趣味の俳諧を通じて意気投合した金井烏洲(かない うじゅう)など尊皇攘夷の志士とも交流があった市郎右衛門ですが、時すでに55歳。

活躍の場を若い世代に譲り、また彼らが帰って来られる故郷を守ることもまた、大切な大人の務め。そう心得ていたからこそ、決意の揺るがぬ栄一を勘当せず、また共にも行かず、背中を押して送り出す決断をしたのでした。

終わりに

とかく人間は功名を求め、こと年齢や経験を重ねるほどに「俺が私が……」と自分が前に出たがるものですが、あえて一歩引いて若い者たちに挑戦の機会をつくり、華を持たせようとする市郎右衛門の姿勢は、大人として見習うべきものと思います。

明治維新を成し遂げた志士たちの裏には、こうした数知れぬ家族や支援者たちの理解と協力があったことでしょう。

その後、市郎右衛門と栄一がどのような人生をたどったのか、そのエピソードはまた機会を改めて紹介できればと思います。

※参考文献:
竜門社 編『渋沢栄一伝記資料 第1巻』岩波書店、1944年1月
国史大辞典編集委員会編『国史大辞典第3巻』吉川弘文館、1983年2月

 

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