せっかく寝返ったのに(涙)戦国時代、非業の死を遂げた武将・浅井井規のエピソード:2ページ目
秀吉に内通、浅井氏の滅亡
「……馬鹿な!主君を裏切るなど出来ぬ!」
秀吉から送られた密使の誘いを、井規は断固としてはねつけます。しかし、密使も老練でした。
「最初は皆さん、誰もがそう言うんですよ……ククク……でもね、今にきっと、あなたの方から『織田殿に取り成して下さい』って懇願するようになりますよ……何せ、皆さんそうですからね……ククク……」
密使が何を持ちかけたのかは分かりませんが、結果として井規は秀吉への内通を決断。提示された見返りに目がくらんだか、もしかしたら、まだ幼い喜八郎を人質にとられたのかも知れません。
「……それがしの守るところはあえて隙を作るゆえ、そこから突入されよ……」
かくして天正元年(1573年)9月1日、難攻不落を誇った小谷城がついに陥落。浅井長政は自害して果てたのでした。
「「「さぁ、約束ぞ。木下殿……」」」
井規はじめ秀吉の調略に応じた浅井家臣らは、次々に約束を果たすよう求めます。が……。
刑場の露と消える
「約束?はて、何のことやら……」
浅井氏の攻略を機に木下から羽柴(はしば※)と名字を改めていた秀吉は、素知らぬ顔で言い放ちました。
(※)織田家中の重臣・丹羽長秀(にわ ながひで)と柴田勝家(しばた かついえ)にあやかろう=取り入ろうと、それぞれの名字から一文字ずつとったそうです。こういうところが、実にあざといですね。
「御屋形様は、そなたら『裏切り者を、決して許さず処断せよ』との仰せじゃ」
「……そんな殺生な!」
「おのれ、最初からそのつもりで我らを謀(たばか)ったのか!」
「この腐れ外道め……馬鹿、猿、ハゲ鼠……っ!」
口々に罵声を浴びせる連中を鼻で嗤(わら)って畳みかけます。
「黙らっしゃい!よいか、騙すとは信頼を裏切ることであり、敵を惑わすはむしろ武略のあらわれ……そなたらは心に隙があったからこそ欲に目がくらみ、主君を裏切ったのであろう……武士の風上にも置けぬわ!」
後悔先に立たず……ぐうの音も出ないまま、浅井の旧臣たちは刑場の露と消えてしまったのでした。
「木s、もとい羽柴殿。わしはどうなってもよい。どうか、どうか喜八郎だけは……」
懇願する井規に、秀吉は優しく答えます。
「安心せぇ。我が手駒として大切に育ててやろう……お互いの『裏切り』は伏せて、な」
「忝(かたじけな)い……!」
かくして井規も処刑され、遺された喜八郎は秀吉に保護されて成長。やがて元服して浅井井頼と改名し、羽柴(後に豊臣)政権下で活躍するのですが、そのエピソードはまたの機会に。
※参考文献:
小和田哲男『近江浅井氏の研究』清文堂出版、2005年4月
宮島敬一『浅井氏三代』吉川弘文館、2008年2月